◎『横浜ローザ』に寄せる思い
1996年初演以来、五大路子のライフワークとして演じ続けて17年目。
ドラマのモデル「ヨコハマ・メリー」さんに寄せる思い。

かつてひとりの伝説の娼婦がいた。
彼女の名前は「ハマのメリー」。
私がメリーさんに出会ったのは20年前の5月3日。
真っ白に塗られた顔、そしてリンと輝く眼光に私の胸は深く射ぬかれ、
私のメリーさん探しの旅はここから始まった。
何年か自分の目で取材し。
そして戦中派である杉山先生に執筆を依頼した。
「メリーさんの後ろにいる何十万という人々の想いをのせ、日本の戦後史を書くよ。」
そして1995年「横浜ローザ」は産声をあげました。
演じ続けて17年目。彼女はもういない。
彼女の人生を真っ二つに切り裂いた戦争。
「私ら、時代に使い捨てにされてたまるもんですか!」
メリーさんの友人の元次郎さんが呟いた言葉が頭をよぎった。
大正・昭和・平成を生き抜き、実在した一人の女性は、今は、黙して何も語らない。
しかし、「横浜ローザ」は、その魂、
この時代に生きた何十万という人々の想いを乗せ、
平成の今を歩き続けてゆくのだと思います。

今年は、沖縄が返還されて40年目。戦後67年です。
私は2年前この横浜ローザを上演しようと沖縄へ向かいました。
そこで出会った事それは今もローザは、ここにいる。
(戦争は終わってない)という現実でした。
戦争を知らない私が演じ続けて17年目の今年、
別れ際に聞いた沖縄のおばちゃんの言葉が胸にあふれます。
「ぬくど命(命は宝)だよ」
◎ 作家杉山義法の思い

1945年8月15日正午、中学生だった僕は勤労動員先の農家の庭で天皇陛下の玉音放送を聴いた。雑音がひどくて何のことやら分からぬままに、放送が終わるとそのまま松根油堀りの作業場を脱出、悪友と二人で家に逃げ帰る途中だった。
田圃の中の長い白い道を、日傘を差した着物姿の若い女性が一人とぼとぼとやってくる。外出時はモンペを穿くのが当時の常識なのに、着流しに素足の下駄が少年の目にも異常に映った。すれ違い様、女性は僕らを振り返って、「あんた達、放送聴いた?日本なくなるのよ」「違うよおばさん、あれはソ連に対する宣戦布告」と僕が切り返すと、女性は軍国少年二人を哀れむように「日本がなくなる、日本がなくなる」と、つぶやきながら去っていった。
あのモノクロームの一枚写真のような映像が、いまだに僕の脳裏に焼き付いていて離れない。あの女性はそれからどうしただろう。夫か婚約者を戦地に送っていたのだろうか。想像たくましく、あれこれ女性の戦後をたどってみると、その果てに横浜ローザがいた。
五大路子さんの演ずる「横浜ローザ」は、平成7年の初演以来全国行脚を続け、既に100ステージにもなろうとしている。去年、はじめてこの赤レンガ倉庫ホールで公演して、作品が生き返ったと思った。まこと横浜ローザに赤レンガ倉庫はよく似合う。戦争の記憶は年々風化しても、横浜ローザは今も生き続けている。ローザは夏の横浜の風景詩になった。横浜市民のみなさん有難う。作者冥利に尽きる思いです。
杉山義法(2004年8月逝去)