『横浜ローザへのラブレター』

◎ 2009年

稽古の中で私の中にムクムクとうまれてくる今までとは違った命を感じる。それは演じ続ける中で初めて知る感覚です。杉山先生がおしゃってた「これはメリーさんの実録史ではない。あの時代を生き抜いた一人の女性の生き様である。」

 

メリーさんに出会った事で私は18年間彼女をさがしもとめてきました。私の生まれる前に戦争があり、その中を父や母や、メリーさん達が必死に生き抜いてきたその上に、私は生かされている、改めてそれを感じます・・・。

 

昨年メリーさんのお墓にたどりついた時、そこにもとめさがし続けていた答えはなく、一輪のあざみが美しく咲いているだけでした・・・。忘れてはならない戦争の嵐の後あとを、生きて、命を子紡ぎ続けた人達の心の灯を今、私達が受け止めなくてはと強く思います。

 

ローザを上演する為に演出の遠藤さんはじめローザを愛するスタッフ・ボランティアの方々赤レンガの皆さん、そしてご覧いただくお客様の情熱に助けられ、今年も又、ローザがよみがえる事ができます。支えて下さる多くの方に心より感謝をこめてーー

 

2009年8月

◎ 2008年

私は3年前にこの世を去ったメリーさんにどうしても会いたくない、あまりにも情報が少ないので、無謀だとは思ったが、この7月、彼女の生まれ故郷をそっと訪ねてみることにした。

 

まずは、彼女が横浜を去ってから約6年間を過ごした老人ホームを訪ねた。メリーさんにとっては、そこの共同生活はちょっと苦手だったようで、当初は「横浜に帰りたい、帰りたい。」とよく言っていたそうだ。ただ。私には彼女の部屋へと続く階段が、腰の曲がった彼女が歩いてきた人生の険しさを感じさせ、胸が痛みました。

 

そして、私は、ホームを去り際に職員の方が言われた『彼女は異性を怖がっていた。特に大きな人を・・・』『なぜ?』の疑問を心の中で反芻しながら、次は、彼女のお墓を探して、炎天下の中、多分あるであろうと、生家の裏山を歩いた。雄大な山々を仰ぎ、とうとうと流れる川を眼下に眺め、二時間ほどさまよった・・・そして、ついに、彼女のお墓にたどり着いたのです。涙があふれて、止まらなかった。

 

それから、私は彼女の好きだったという京都・泉涌寺の楊貴妃観音の写真と共にローザのチラシをお墓前に供え、手を合わせた。彼女はもういない。誰も人生の真実を知る事はもうできない。彼女の青春の真っ二つに切り裂いた戦争。「私ら、時代に使い捨てにされてたまるもんですか!」友人の元次郎さんが呟いた言葉が頭によぎった。

 

大正・昭和・平成を生き抜き、実在した一人の女性の魂は、今は、黙して何も語らない。しかし「横浜ローザ」は、その時代に生きた何十万と言う人々の想いを乗せ、さらに新しい命となって、平成の今を、この街を、この国を、この地球をじっと見据えて生き続けさせなければ成らないと思う。私の、終わり無い、答えのない、メリーさん探しの旅は、観客の皆様と共に続いてゆくのでしょう。これからも・・・

 

そう願う、2008年の夏です。

 

 

◎ 2007年

平成17年1月17日メリーさんが心臓発作で亡くなった事を、ヨコハマメリーの中村監督から知らされました。平成15年のこと、京都泉涌寺の楊貴妃観音が横浜で展示されました。

 

その時のメリーさんは毎日のように参拝していたようです。そして、日々彼女の顔が変わって行くのを多くの人々に目撃されております。されに、メリーさんがお寺に感謝のお酒を贈っていたという事を知り、私は今年その観音像に会いに行ってきました。

 

たまたま出会ったであろうその観音像にすいよせられていったメリーさんが、観たのは何だったのだろうか・・・。今年のローザは、そんな想いを胸に秘め演じさせていただきます。

 

 

◎ 2006年

出会ってから15年。・・・舞台になるまでの事や演じ続けての日々が1コマ1コマ映画のシーンのように目の前にあらわれてきました。GMビルの前で、笑顔で握手してくれた時のメリーさんの白い小さな手の冷たさ、元次郎さんの切ない歌声のひびき、杉山先生の笑顔のやさしさ・・・それぞれのぬくもりが甦り、私は震えていました。2006年8月「横浜ローザ」は、多くの人々の思いをのせて命の輝きを放ちます。

 

 

◎ 2004年

今年の3月にメリーさんの友人で私を彼女に会わせて下さった、シャンソン歌手の元次郎さんが亡くなられました。その彼がふと呟いた言葉が忘れられません。「私は彼女を見ていると他人事とは思えない。もしかしたら私自身の姿であるかもしれない。時代に人が使い捨てにされてたまるもんですか。」彼は毎回公演に足を運び、かけ越えをかけて下さっていました。あれは人が生きる事、生命へのエールだったのかもしれません。元次郎さんがなくなってから1週間後、感謝の言葉とともにメリーさんから一枚の絵が届きました。彼の病状回復を願い描き上げたというその絵の中には一人の和服姿の美しい女性が涼しい眼をしてたたずんでいました。波乱の人生にもかかわらず、今は遠くを見つめて静かに微笑むメリーさん。そのまなざしが平成16年の夏、私の胸をつき動かしているのです。

 

 

◎ 2003年

今年5月に赤レンガ倉庫で上映されたドキュメンタリー映画の中で、再び出会った彼女の顔は穏やかな美しい顔でした。その時私は強く思ったのです。伝説の中の娼婦は、実は平凡で心から微笑むことのできる何気ない日常の幸せを探し求めていたのではないかと・・・。そして私は今、平成という時をみつめながら、伝説の娼婦「横浜ローザ」の心をこの街に、日本中に伝えて行きたいと思っております。

 

 

◎ 2001年

今年、メリーさんから私と共通の友人に手紙が届きました。達筆で近況が記され、「できる事なら横浜に帰りたい」と80歳の心境が語られていました。私は5年間演じさせていただく中、多くの方々の涙を眼の当たりにし,またその重さを実感してまいりました。時代の嵐の中で、凛として生き抜いた多くの人々がいらした事を・・・。今を生きる私達が何を大切にしていかなければならないかを教えていただいてるような気がいたします。今回は念願の横浜16区リレー公演です。どの公演も祈りを込めて、新しい命を生み出し、メリーさnの命の伝言板としての「横浜ローザ」を演じたいと思います。